【ネタバレあり?】シン エヴァンゲリオン劇場版の感想をば【特にアスカ】
みんな一杯書いてんだろー、とは思いますが、やっぱり書かずにいられない。
求道者です。
月曜と火曜は見に行けなかったので、水曜日の最終に見に行ってきました。
ツッコミ所は山ほどありつつも、『締めた』形のお話でしたねえ。
概要についても触れません。見た人しか分からないようにしているつもりですが、その感想だけでも十分ネタバレかと思いますので。ま、見てないとは思いますが。
さておき、
Qで色々と言わなさすぎて辛い目に遭ったシンジ君に、後になって出るわ出るわと言い訳理由のオンパレード。
つくづく思ったのは、
やっぱり人は言わなきゃ通じない。
分かるわけがない。分かれと言われて分かるわけがない。
シンジ君は、実は彼、相当すごいんですよね。
自己肯定感が乏しく、それでいながら他人の世話をちゃんとしようと思えるって、あんな出来たこって、一四才でそうそういません。
まあ、幼児期から親に話されて生きてきて、おじさんおばさんって言う出来が良い(と思う)人に育てられ(他人から預かった子にちゃんと料理を教えてあげるおばさんってすごいと思う)、人に気を遣い自分の身の回りはきちんとし、しかしながら自己肯定感だけがやっぱり乏しい。
で、だ。そんな子が自分のエゴを出そうとしたわけですよ。失敗するに決まってますよね。何にしても初めてなんですもん。
さらに一度目はレイを助けようとして、二度目はそれを取り戻そうとしてQで失敗して、大切な友を失って。
そこからですが、アスカの扱いが酷い。アスカのシンジに対する扱いはかなり酷い。
放っておくしか出来ないのは分かるし、自分が適任ではないとはいえ、しかしながらあの突き放した、というか無関心を装う態度は、あれ、一生物のトラウマになるかと。というか、なりますね。
仕事の覚えたて、色々と文句交じりに言われた先輩と優しく教えられた先輩、果たしてどちらが良いんでしょう?という問いと同じだと思ってます。
アスカは確実に前者。もう僕は嫌われているんだとしか思われないレベル。気を遣っているのは分かるけど、それでもあれは酷い。立ち直らせるよりも先にめげる方が早いかと。アヤナミレイ(仮称)がいなければ。
そのアヤナミレイ(仮称)も、物語の駒を進めるための道具として使い捨てられるわけですが。
それでも彼は進む。それは贖罪なのでしょう。彼は聖人なのですから。磔を命じられればそのまま十字架を背負っていくタイプです。
そこからは流れるように、押し込められるように、ゲンドウが内心を吐露して初めて彼の行動を自分で振り返ります。
そしてようやく自分の恐れに気付くという流れに行くのですが――
うん。やっぱりこれ。
人は言わなきゃ分からない。
空気を読めと言われてもこんなの無理無理。
空気を嫁って言うのは同調圧力ですからね。言い換えれば自己を殺すことになる。
それを極限まで自己を殺さずに突っ走った男ですよ。
某ブペルとは真逆です。自分が正しいと決めつけて周りを見ないのではなく、自分のエゴを貫くために周りに対して悪を強いる。
悪役の王道と言うよりも、エゴというものはそういう物だと言わんばかりの王道です。
……ただ、まあ、僕の不満点としては、
これをシンジに語らずに、まして、それを語る状況をゲンドウ自身に作らせずに、あるいは一人だけのモノローグで語ってほしかったなあ、と。
ゲンドウがこれを他人にいうキャラとはどうしても思えなくて。
これを飲み込みつつ、悪を貫こうとし、聖人であるシンジによって殺される――というのは安直な流れでしょうかねえ?
シンジがそれを飲み込めるとは思えない。彼は聖人なので。彼はみんなのために親を殺せるでしょうし、かつその罪を背負うのでしょう。一人寂しく死ぬのがオチの人だと思います。
それを失敗したのも、結局彼が親だから。無条件なんですよね。親が子供を愛するのって(壊れている人は除きますが)。
彼が助けようとした綾波レイも出てきますし、アスカも救われます。
アスカの他人に対する扱いの容赦なさだけが、どうしても訳が分からない。Qから一番変わりすぎたのが、彼女です。どこか純粋だった少女は、他者に対して徹底的に攻撃するだけの子供になってます。
レイはまあ分かる。あれは、ああ、彼女らしいなあ、と思う。本当に純粋なのだ。彼女は。その彼女が彼女なりにシンジを助けようとした結果だった。そう思うと喜ばしく思う。
アスカの扱いだけが訳が分からなかった。
だって、カヲル君にしても、ミサトさんにしても、綾波にしても、シンジ君の幸せを願った訳じゃん?
アスカだけなんだよねえ。自分の幸せも、ましてシンジの幸せも願っていないのは。
最後だけちらっとデレますが、それにしちゃあ、他者に無関心すぎません?彼女。自分にも。
だから、彼女がこれからどうなるのかだけは理解できない。分からない。
そこにモヤモヤ感があるなあ・・・
綾波レイと惣流・アスカ・ラングレーと言えば、当時物議を醸し出した二大ヒロインっすよ?それがこういう扱いを受けて良いのか!
ちょっと訳わかんなさすぎますよ監督!
ま、ニアサーで一番荒んじゃったのかね?
最後を持っていったのはマリでした。その正体もチラリと言って終わりになります。彼女は彼女でありながら、ヒトを好きになっちゃったのでしょう。きっと。
いや、まあ、
結局は最後の最後までモヤモヤさせます。
言い方を変えれば、『感』情が『動』きます。
好きの反対は無関心というのなら、これこそ無感情の反対なのでしょう。つまりは感動したわけです。
どんな映画であれ、感情が揺さぶられることこそが最も重要。一時期であれ、そこに何かの思いが込められる――まして、実在しないヒト、実際になかった出来事にあーだこーだといえることこそが、
映画、アニメも内包した『演劇』の面白さなのでしょう。
ということで、ようやく二五年の歳月をかけて一つのアニメが終わりました。
さてさて、これを見て、例えば「最後の立ち回りは、旧劇に比べれば――」と思う人はどういう作品を作ってくれるのでしょうか?
そのときには僕はこの世からいないかもですが、若い人達が何かの情熱のきっかけになってくれることを切に願いつつ・・・